同窓生100人が被災地を訪ねる

95周年記念事業で浜通りへ

 東日本大震災の被災地を訪ね応援しよう~と95周年記念式典の翌日の10月29日(日曜)、大型バス3台に分乗して同窓生約100人が津波と原発事故に見舞われた浜通り地区を訪ねました。95周年記念事業として実施しました。

コミュタン福島を見学

 福島駅に集合した一行は午前9時に出発。はじめに大震災の状況を知るため東北自動車道を南下し、磐越自動車道を経由して三春町の福島県環境創造センター交流棟(コミュタン福島)を見学しました。コミュタン福島では、「放射線の話」とふくしまの美しい自然と豊かな文化を伝える「福島ルネッサンス」を環境創造シアターで見たほか、水素爆発を起こして壊れた福島第一原発の模型や大震災を伝える新聞報道などを見て回りました。

帰還困難区域を北上

 このあとは磐越道から常磐自動車道に入り、広野インターから国道6号線へ。富岡町夜の森の桜並木を見て、バリケードが組まれた帰還困難区域を北上しました。帰還困難区域は放射線の影響があり、歩行者や二輪走行は禁止、自動車のみ通行。国道両側には草が生い茂ったままの大型店や無人の住宅が立ち並び、原発事故の影響の大きさを表していました。一行は浪江町の請戸漁港を訪ねました。バスから下車し、堤防工事が進む中の漁港の状況を視察しました。この日はあいにくの雨でしたが、遠く東京電力第一原発の姿がかすんで見えました。漁港の船溜まりには数隻の漁船が浮かび、復興へ向けての動きが見えましたが、大津波に襲われた請戸の浜は荒涼とした荒れ地と化し、復興への道のりが遠いことを示していました。

飯舘村訪問、村長の話を聞く

 請戸漁港から国道6号を北上し、道の駅南相馬で小休止。特産品などを買い込むメンバーの姿も見られました。このあとは今年3月31日に避難指示解除(長泥地区除く)となった飯舘村を訪問しました。飯舘村は東電第一原発から約50キロ離れていますが、事故当時の風向きから放射線の通り道となり、全村避難となりました。これから村の再生・復興に取り組んでいくことになりますが、村内には放射性廃棄物が入ったフレコンバッグが山積していました。村の施設で菅野典雄村長にお話を伺いました。菅野村長は平成8年10月に初当選し、現在6期目、丁寧な、じっくり、手間暇を惜しまない「までいな」村づくりを進めてきました。そのなかでの全村避難とその解除、今後の復興について菅野村長は次の様に話しました。

 「6000人の村が500人しか帰っていない。復興はできるだけ柔軟に考えていく。放射能災害は他の災害と全く違う。影も形も色も見えない。放射能災害はゼロに向かっていかねばならない。『までいらいふ』と名付けたスローライフの政策を打ち出して7年目に全村避難となった。小さな村の生き残り策は日本の10年先、20年先のありようを示している。原発から何を学ぶのか。24時間明かりが灯る街。美しい星が見えないことで良いのか。後世に負担を残す。足し算だけでなく引き算も必要だ」。菅野村長は同窓生の質疑にも丁寧に応答、これからの復興について説明しました。

 一行は飯舘村役場を後に、「いいたて村道の駅までい館」を道路沿いに見ながら福島市へ向けて帰途につきました。「までい館」は今年8月12日に営業を開始し、2か月余で来館者10万人を突破しました。一連の日程をこなした一行は予定通り午後6時半、福島駅西口に到着しました。

清水修二先生ら3人が解説

 今回の被災地視察には母校から清水修二名誉教授、林薫平准教授、大瀬健嗣特任准教授の3人の先生が解説者としてバスに乗り組み、適時わかりやすい説明で一行は理解を深めました。